No.114・はじめての中沢新一@レヴィ=ストロース氏追悼(5)

kneedrop2009-11-29

A world of 1200 letters 『1200字の言葉の世界』−10
「普遍の祈り」 DJ / KNEEDROP つづいてます。
【2006-01-20 第32回 よくわからなくなりました】
中沢新一さんの、イベントでのひとり語りをおとどけしています)
お釈迦様の言い方をもっと深めていくと次のようなことになるんじゃないかと思います。
ホモサピエンス・サピエンスの前の、わたしたちの先祖であったネアンデルタール人、それからその前の人間たちは
みんなそれぞれの段階に適応するような形で合理的な思考方法を発達させることができたでしょう。
この合理的な思考方法を人間の心の中で定着させ、うまく作動させていくために、深層構造(今わたしたちが知っているこの言語という構造のいちばん原始的な形態と言われています)と同じようなものをすでにこの先祖たちは次第次第に発達させ、石器と同じように、わたしたち新人にその深層構造が受け渡されました。
ところが新人たち、私たちの直接の先祖はそこにまったく別の要素をつけくわえたわけです。
このまったく別の要素というのが、むしろ世界の本質を論理的に考えたらどう考えても矛盾としか表現しようのないものを全体的に把握していくような智慧の形態なのです。
この智慧の形態を可能にしたものの一つは象徴的な思考です。この抽象的にあるものが何かを明らかにすることができればわたしたち人間の最初の飛躍点というものを正確に理解することができるだろう、と考えるようになりました。ここまで考えた時が20代の終わりくらいだったわけですね。
20代の終わりくらいになって、ぼくは、もうそこから先はよくわからなくなってしまいました。
そこから先がよくわからなくなってしまったというのは……いろんな学問的なことを積み重ねていってももうこの先へは到底進めなくなるだろう、と気づいたんです。
構造主義の考え方やレヴィ=ストロースの思想というのもあるところまでは教えてくれるけれども、ぼくが抱えているその飛躍点のいちばん重要なところまで教えてくれません。
これは自分で考えだすしかないだろうと思いました。20代の終わりでした。そこで考えたことは、岡潔のいう智慧の文明であり、ゴータマ・ブッダのいう最も高度な知性の働かせ方の原型がある智慧のかたちなのです。
レヴィ=ストロースが「野生の思考」と呼ぶ新石器あるいはその前からの思考方法を今に伝えていて、しかもそれを高度な表現や思考と結びつけているような人々のところへ行って、直接、それを勉強してくるしかないだろう、と考えたわけです。そこでぼくはあたりをつけました。勘ですね、ここは。
たぶん、チベット人のところにそれがあるんじゃないかと思ったわけです。そしてかなり思い切ったことをしました。
チベット人のところへ行って門を叩いて、「教えてください」と入門をしたんです。
「あなたは何を勉強したいのか」チベット人の先生に聞かれましたけれども、わたしはここで伝えられているいちばん古いかたちの教えを学びたい、と伝えたんです。
そうしたら、「今までそんなことを 勉強しにきた人はいない」とすごくよろこんでくれたんですね。
「おまえに言っておくことがあるけど、とにかくそのお前の頭の中に入っている知識とか思考方法、ものの考え方、知性、それをぜんぶ捨ててくれ。ぜんぶ忘れてくれ。頭の中で寝ても覚めても働いているその思考というやつを、
一度、ぜんぶ捨ててしまってくれ。これから三ヶ月間、本も一冊も読むな。そしてそうやって自分の心に浮かびあがってくる自然な状態を取り戻すように。そうしたら教えることをはじめることができる」そう言われました。ぼくはその通りやりました。
ぼくの頭の中にはいろんながらくたが詰めこまれていて、チベットへ行く前に、いろいろ詰まっていて、とにかくこういうのをぜんぶ捨てなければいけない。そして、自然に浮かびあがってくる心の状態を待ちなさいと言うんですね。
そしてそういう状態に少し近づいてきた時に、いろんなことを教えてくれるようになりました。つまり、思考というものよりも前の段階で人間の心の中で働いている、心のメカニズムというものを実際に目の前に見えるかたちで見せてくれるというそういう教え方ですね。そして、智慧というものがいかにわたしたちがふだん知性というかたちで考えているものとは違う構造を持っていて、しかも脳の中の違う部分を働かせながら見えてくるものなんだ、ということを見せてくれたわけです。(つづく)