No.115・レヴィ=ストロースへ追悼文@中沢新一(6)

kneedrop2009-11-30

A world of 1200 letters 『1200字の言葉の世界』−10
「普遍の祈り」 DJ / KNEEDROP つづいてます。
【2006-01-21 第33回 ぼくは、歩きはじめました】
中沢新一さんの、イベントでのひとり語りをおとどけしています)
チベットでの体験を3年ほどしました。日本へ帰ってきて、さぁこれからその体験と自分が抱えてきた重い主題、つまり構造主義の先を行くこと、それを仏教の考え方と結合していくこと、岡潔の夢のようなものに近づいていくこと、そういうことに取り組んでいこう、と意気ごんでいたわけです。
そこで、もう一回、インドやネパールやチベットを歩いたわけです。そうしたらなんだか今まで一つに結びつかなかったもの、つまり自分の主題と自分がチベット人の老人たちから学んできたものとが一体どういう風に結びついていくのか、だんだんだんだんはっきり見えてくるようになったわけです。ついに見えてきた。
そうして、今から4年くらい前ですかね、急にあなたは縄文時代の探検をしなさい、というお告げを受けました(笑)。
それでぼくは急に、「そうか、野生の思考というものを探るとしたらそれは新石器時代の思考だけれども、
日本列島における新石器時代の思考方法、といったら縄文だろう」と思いあたりました。
しかも自分が生まれ育った、信州とか甲州の世界というのは縄文のメッカだったわけですね。
ぼくは歩きはじめました。縄文遺跡を歩くようになり、そして古い宗教のかたちに再会するようになりました。
「アースダイバー」なんかの旅もその直後にはじまっているんですけれども、3年ぐらい前にだんだんだんだん
明瞭なかたちをとるようになってきたわけです。もう自分の主題をここではじめてもいいだろう、と思ったわけですね。そして、講義するだけではもったいないから、とにかくこれを矢継ぎ早に出版物にしていこうと考えたわけですね。これがというシリーズの発端になったもので、講義をやりながら一つの世界を作っていくということをはじめたわけです。一方で、縄文遺跡への旅を続けました。そして、自分がチベット人のところで教えてもらった意味というのをもう一回はっきり理解するために、古い本をたくさん読んだりもしました。
それから新しい考古学の考え方、今どんどん発達している認知考古学の考え方、これに大々的に取り組んでいこうと。そういう異質なものをいろんなところから寄せ集めて、そして自分が長いことしつこく考えていた、「人間の思考の歴史、思考の中に大きな転換を作りだすような思考の土台」を作りだしてみる実験をはじめたわけです。
そこから生まれてくる考え方というのは、今までの人間についての学問の土台や、基本となった前提条件を
ぜんぶひっくり返したところから生まれてくる世界観というものを構築してみようというものだったのです。
最初の半年間は神話について話しました。タイトルは最初から決まっていました。
「人類最古の哲学」これはレヴィ=ストロースが「神話とはなんですか?」と聞かれた時
「それは人類最古の哲学ですよ」と答えた言葉からきています。すばらしい言葉だと思います。 
             『ほぼ日刊イトイ新聞〜「はじめての中沢新一」アースダイバーから芸術人類学へ』より
(え〜ここで中沢新一さんの、イベントでのひとり語りでレヴィ=ストロースを語っている箇所はここで終了します。)
今回とても、興味深いことをみなさんにも伝えられたと思います。何度も読み直しましたが、一行一行素晴らしい講義録の内容で(あとで短く掲載しますとはいったものの、私にはお話が続いているだけに、どうしても、割愛できませんでした。)
そして、中沢新一さんは読売新聞の追悼文ではレヴィ=ストロースを大鷲にたとえこのように追悼文を寄せました。
「このように鋭い目をした彼は、大鷲さながらに、人間の来し方と行く末を正確に見つめていた。またその鋭い目は、地上を動くどんな小さな生き物の動きも見逃すことなく、現代人が無価値なものとうち捨てて顧みない、ささやかな事象の中に、人間精神の秘密を解き明かす可憐な花を探し当て、その美しさと賢さを賞賛した。私はレヴィ=ストロースの中に、人類の心のもっとも、美しい発言を見てきた。音楽を称えながら「神のごときワグナー」と書いたが、私にとっては、じつに彼の精神こそが神なのであった。」レヴィ=ストロースを称え悼みました。このようなほんとうに美しすぎる追悼文を寄せました。(つづく)