NO.16・若草屋北斎@詩的・音楽的同志よりの激励(推薦文)3

kneedrop2016-09-17

∞ 詩的・音楽的同志よりの激励
(五十嵐精一詩集 推薦文)3 ∞ 若草屋北斎


そして3つ目。


実はこれが一番大事である。?  
「自分の作品で世界を救えると本気で想っている人」であるということ。

 
もちろん、私達は単に安易な妄想を抱いているわけではなく、ビートルズジョン・レノンが時代を席巻していたロック草創期ならいざ知らず、色々な音楽や表現法歩が溢れている今の時代において、「そんなことが出来るわけがない」ということは分かっている。


それでも、いつしかそういう日が来ること、もしくは、たとえたった1人でもいいから、「誰かを救済できるのだ」ということを信じ、詩を書き続けるしかないのである。あたかも、ドン・キホーテが巨大な水車に挑むかの如く…。恐らく宮沢賢治ゴッホ、あるいは若くして
死んだ名もない詩人達がそうであったように…。
 

氏の作品にも私の作品にも共通していえることであるが、必ずしも「愛」の詩や「人間賛歌」的作品ばかりを描いているわけではない。私の場合特にそうだが、時にはネガティブで犯罪的・暴力的であったり、世捨て人的な観点で描かれたりしたものも数多く存在している。
だが、そんな作品であってさえ、その根底には必ず
「救い」的要素が入っている。


もちろん、虐げられた人たちの立場に本当に立つことはできないし、まして「それを上から目線で描く」などということはおこがましい行為である、ということは分かっている。それでも、そういったシチュエーションを
想定し、作品にしてみることで、何か、「生きる」という意味やそのヒントを作品の中から見出せるのではないか、と妄想しているのである。
 

私達も多くの生きているうちに日の目を見ることのなかった先人達同様、この先、もしかしたら、生きている間に評価され、名を残すことはないのかもしれない。それでもいつかそんな日が来ることを信じて、あるいは誰か1人でもいい、例えば今から死のうとしている人が自分の作品に出会うことによって、「もう1度生きてみよう」と思えるような作品が残せることを信じて、…
私達は笑って死ねるのである。

 
そんな「ナルシスト」で「エゴイスト」で「自分の作品で世界を救えると思っている人」の書いた、集大成ともいえる作品群を心行くまでご堪能いただければ幸いである。

そう、私達が詩を書くのは「それが必然であるから」に他ならない。
だからきっと、氏の作品もまた、必然的に「曲として完成形になる日を待ち望んでいる」と思うのは私だけではあるまい。


今後、氏の作品に1・2曲、曲を付けさせていただくという機会もあるかも知れない。しかし、それは氏の作品の「若草屋北斎的解釈」に過ぎず、もしかしたら「本当は別の形になるのが必然なのかも知れない」と思うと、やや躊躇してしまう自分がいるのも確かである。

 
もはや「人生50年」という時代はとうに過ぎ去った、とはいえ、私達はすでに人生の折り返し地点を過ぎている。今後もお互い創作活動を続けていくであろうことは言うまでもないが、引き続き、新しい詩を書き続けることや作品の推敲だけに専念するのか、
それとも過去の作品にメロディーを与え、
曲として完成させる方を優先させるのか、…
すべてはこれからの氏が決めることである。

 
氏の作品を紐解かれる時、微かではあるが、
その奥底に確かに流れるリズムとメロディーに
耳を傾けてみる、というのも一興かもしれない。(了)



(この推薦文は2016年5月に若草屋北斎さんへ
この番組Web Program『自選五十嵐精一詩集』
ONAIR!(刊行)にあたり執筆いただいたものです。)

















































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