No.112・はじめての中沢新一@レヴィ=ストロース氏追悼(3)

kneedrop2009-11-27

A world of 1200 letters 『1200字の言葉の世界』−10
「普遍の祈り」 DJ / KNEEDROP つづいてます。
【2006-01-16 第28回 その矛盾には意味がある 】
中沢新一さんの、イベントでのひとり語りをおとどけしています)
レヴィ=ストロースが調べたとき、ブラジルのジャングルの奥地では実際、鉄器なんていうのは白人が持ってきたものをそのまま使っているけれども、なんか、いい加減な使い方をしているんですね。
今だったら例えばCDをCDとして使うのではなくて神棚にあげて、虹が出てるのをよろこんでいるみたいな、チベットの奥にそんなお坊さんがいましたけれども、そんな使い方をしている程度で、生活の基本は石器時代と変わらないんですね。新石器を使って、そしてジャングルの中で農業をしたり、狩猟をしたりして生きて、暮らしている。
その人たちのものの考え方というのを研究してみると非常に高度に論理的にできている、ということが分かってきたのです。植物の世界の分類というのを、とても精緻にしていて、できていて、おそらくさっきの話だと縄文時代の人も、人間が食べられることができる植物、食用にできる植物、毒のある植物を明瞭にわけて、そして植物学者がびっくりするくらいにこと細かな分類をしていました。動物に関してもそうです。それから、もっと驚くべきことがありました。神話がたいへん発達していてその神話のひとつひとつを「この神話なんていうのは ロマンチックな作り話だが、おとぎ話の作り話だ」という視点を捨ててみたのですね。
ここにはひょっとしたら神話の語り口を通じて、この世界の有様あるいは人間の存在価値、人間の位置というものについて語っている人間の最古の原初の哲学の形がある、と考えたらどうだろうと。
そうして見ると、矛盾に満ちた語り口をしているように見えるけれどもこの矛盾には意味がある。
それはなぜかというとこの世界が矛盾に満ちている、この矛盾に満ちた世界を、矛盾に満ちたまま捉えるとすると神話の形態になる、ということを彼は見いだすわけですね。そしてフランスへ帰ってから人類学者としての活動をはじめました。『野生の思考』『神話論理学』『悲しき熱帯』こういう作品を通じて彼は新しい考え方を打ちだしていきます。構造主義と呼ばれた考えです。ぼくらが高校生の頃からだんだん日本でも知られるようになった考え方ですが人間は新石器時代以来、いやひょっとするとと、その前の中石器時代旧石器時代から基本的な思考の構造をかえていないのではないか、もう数万年前に人間が出現した時に今日わたしたちにあるような知的能力はほとんどそろっていたのかもしれない、というものです。しかし彼らはわたしたちと同じようにその知性の能力を利用しなかった。だから神話のような形態を作りあげた。あるいは不思議な儀式を作りだしたりもした……しかしそれはこの全体的に矛盾に満ちた世界を矛盾に満ちたものとしてつかまえるために作りだした思考方法だからそうなったのです。
我々現代人は、同じ知的能力を別の側面に、使っているんです。
【2006-01-17 第29回 「歴史」がはじまる瞬間】 中沢新一さんの、イベントでのひとり語りをおとどけしています)
未開と呼ばれた人たちは矛盾したやり方でパラドックスを使って世界を考えています。
その思考方法を「矛盾に満ちているからダメだ」「間違った思考方法だ」と否定して論理的に矛盾の無いような形で世界のあり方を考えるようになったのが、これがギリシャの発明ですね。
このギリシャの発明以来西ヨーロッパの思考方法はそちらに大きくドライブしてきます。
そして現実にこの世界に起こっている矛盾に満ちたことをそのまま捉える思考方法を発展させるのではなくて、
そこからある部分を切り取り、そしてそれを、矛盾のない論理のほうに分離させて、これを組み合わせて世界の有様を表現する方法を発達させた……。それから新しい「歴史」という考え方をつくりだしました。
これは都市と国家の成立と関係しています。都市と国家ができると歴史という考え方が生まれてくるようになると考えるわけですね。つまりある時点から人間の世界というのは「歴史を持ってどんどんどんどん展開を遂げていくようになる」というふうに考えるんですね。ところがそれ以前の世界は歴史を持たないと考えられます。つまりいつまでたっても、時間のない世界の中で同じような発達のない世界をくりかえしていたと考えられている……。しかしここで思考方法の大きな転換を行わなければならなかったわけです。
近代人は歴史ということにものすごく重要性を与えてきました。そして都市と国家が始まって以来の人間の思考方法の形は、かたよっていたわけですね。さきほどの言葉を使いますと、歴史のない時代と呼ばれている長い長い時間の中で人間は右脳と左脳、つまり全体直感する能力と論理的な処理をする能力をバランスを取れた形で発達させてきました。
これをある学者は二分心と言いました。二つに分ける心、ですね。人間の心というのは一つではなくて、二つのメカニズム、二つのモジュールを組みあわせて作動しているという考えです。この考えは正しいと思いますね。
この考え方を使うと、歴史のないと呼ばれた数万年に渡る人類の世界、歴史の世界の中では人間はこの二つの異なるメカニズムを平等に組み合わせて世界の有様を理解すようとする思考方法を展開しようとしてきたわけです。
ところが都市と国家の成立と同時に左脳のこの論理的な能力を分離したり、力を結集したりするこの思考方法を発達させてくるようになるとそこで人間の心の中にあった数万年間バランスを保ち続けてきた状態がこわれるわけです。
 そしてその瞬間から「歴史」がはじまるというふうに考える……。こういうふうに考えをひっくりかえしていくことはできないかとレヴィ=ストロースは考えたわけですね。これは構造主義という名前で呼ばれることになりましたが、構造主義というのはあまり新しい名前ではないと思います。これはある意味でいうと歴史観をひっくりかえしていかなければいけないわけです。そこが、第一歩の偉大な前進だったとぼくは感じました。(つづく)
                『ほぼ日刊イトイ新聞〜「はじめての中沢新一」アースダイバーから芸術人類学へ』より

悲しき南回帰線(上) (講談社学術文庫)

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