No.65・ 『 プロフィール ♪ 』 @原田真二(2)

kneedrop2009-07-22

A world of 1200letters 『1200字の言葉の世界』−8
「普遍の祈り」 DJ / KNEEDROP つづいてます。
彼は高2の時、修学旅行を休み、フォーライフ・オーディションのデモテープ作りにかけた。
3000人以上といわれる応募があったテープ選考ではピックアップされなかったが、その凝ったデモテープが吉田拓郎さんの目に留まり、試しに写真を見るとアイドルチックな美少年だったので、慌てて電話を入れ、スタッフが広島まで出向き採用を決定しました。
原田真二さんはFORLIFE RECORDSという吉田拓郎さん小室等さん井上陽水さん泉谷しげるさんが創ったレコード会社の5人目のアーティストとして、吉田拓郎さんのプロデュースにより、デビューしました。
それでは1977年に着いたようです。
原田真二といえば、「てぃーんず ぶるーす」なんか〜FORLIFEの初期のEP盤が見える写真を探し、右上にアップしてみましたが、このレコード盤に内側に記載されている初期の黄色い色のFORLIFEの文字のロゴマーク、`70年代を彷彿させるデザインで最高です!
1975年私、この時13歳で中学1年生でした。私、FORLIFEのアーティストの方々の音楽作品や活動をREALTIMEに体感できたことに今も感謝しています。
ではまず彼の最新の情報まで網羅したプロフィールをオンエアします。
1977年の10月に18歳で原田真二はデビューしました。私はその頃、私は中学3年生で15歳でした。
若き才能溢れるミュージシャンとして、今では考えられないトリプルシングルのリリースからのスタートでした。
毎月、1枚ずつ3ヶ月連続でシングルを発売。10月「てぃーんず ぶるーす」11月「キャンディー」12月「シャドー・ボクサー」と3枚すべてが同時のオリコンスト20入りするという日本音楽史上位の快挙を成し遂げました。
翌年に発売されたデビューアルバムは「FELL HAPPY」は史上初の初登場1位を獲得し、4週間連続トップを独走。その後、平和への想いを託した楽曲を積極的に発表し始めます。
また他のアーテイストにも200曲以上もの楽曲を提供(吉川晃司/沢田研二郷ひろみ松田聖子他多数)。
1999年、国際環境会議に参加、同会議のレセプションにて演奏を行う。
1995年、2004年に東京の公立小学校2校の校歌を作詞・作曲。
2000年より心の環境(やさしさの復活)整備を訴える環境チャリティー「鎮守の杜コンサート」をスタートさせ、これまでに、伊勢神宮明治神宮厳島神社を含む全国の神社でコンサートを行い、2005年その活動をNPO法人化し、NPO法人ジエントルアースを設立した。
2004年7月、フランス、カンヌでの国際芸術祭で演奏。
2006年11月、ダライラマ氏をはじめとするノーベル平和賞受賞者を招いた広島平和国際会議で演奏。
2007年1月、元アメリカ副大統領アルゴア氏製作の環境映画「不都合な真実」の日本語版エンディングテーマを担当。同レセプションにて演奏。
2007年2月、メキシコ、カンクンにて元アメリカ大統領ジミーカーター氏の交流会に参加。
2006年より毎年ニューヨークでのPeaceConcertTourを行い、2007年9月・10月にはニューヨーク国連本部に招かれライブを行った。国連本部をはじめ欧米・フィリピンでの活動も行い「愛と平和」の大切さを音楽を通じ地球上に届ける活動を展開している。
と我が真二兄はこんな世界の平和をテーマとしたレセプションに参加され、日本を代表し世界の舞台で活躍していました。                                                             (つづく♪)

タイム・トラベル?武道館’78

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