No.247・『1961−2010 』@小沢幸一氏(3)

kneedrop2010-08-19

<小沢幸一氏追悼特集>
「普遍の祈り」 DJ / KNEEDROP つづいてます。



『 KOUICHI  OZAWA ☆ 1961年7月9日ー2010年7月27日  』


2010年、7月27日 小沢幸一 氏 (49歳) 逝去されました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

あなたの訃報を今日、朝8時過ぎに娘から聞きました。
信じられないことでしたが確認してみたらほんとうでしたのであわてて友人たちに連絡しました。


私が幸(こう)ちゃんにさいごに会ったのは昨年の11月でした。
ある書店の店内で偶然ばったり逢ったのです。
それから店内の喫茶店で5時間ぐらい話し込みました。
これが最後に会った時のことでした。
彼がその時話したことは今も鮮明に覚えています。


初めて彼に逢ったのは小学1年生でした。
私の人生の中で最初の師であり大親友でもあり、あなたはB型で私より行動的でした。
そしてとても頭の回転がよく頭脳明晰でした。
天才というのはこういう頭の回転が早く感性が成熟している人をいうのだと思いました。

今、思うと小学生1年生の時からあなたは私をいつも気遣ってくれていて、
何故か一度も同じクラスになったことはありませんでしたが。遠くからいつも私を守ってくれていた気がします。
いつも私を『精ちゃん、せいちゃん』と人懐こく呼んでくれて。
そして、会うとあの口調で、『Oh!精ちゃん元気かい!』と話しかけてきてくれたことを
今、昨日のことのように思い出します。


中学生からはアーティスト、SINGER SONG WRITERを目指す者同士、一番のライバルになりました。
詩を書くとよく見せ合いました。
我々ふたりはおたがいに友人として過ごした時間は一番長かった。
それは家が200メートルぐらいしか離れていなかったこともあり、小学校から中学校と登下校は一緒でした。
よくふたりで議論し合い、いつもふたりでいました。
ふたりで笑い、学校や社会に怒り、おたがいのここが気に食わないといい、けんかもたくさんしました。
でも彼はいつも真直ぐでした。


このブログ番組で右上にあるプロフィールに貼ってある、『FREE LIFE』RECORDSというのは
吉田拓郎を始めとして創られたFORLIFE RECORDSの影響を受けて
当時1976年でしたが彼と将来、レコード会社を創ることを決めた時にふたりで考えた会社の名前です。

『FREE LIFE RECORDS』ポリシーの『自由な人生・きままな人生』というのも
FREE LIFE発足時に彼が書いた声明書からの引用です。


彼の感受性は素晴らしいものでした。
小学校の私たちは町内の対抗のソフトボールの試合のために1年中を練習していました。
中学生になるとシンガーソングライターに憧れ、たがいに作詞/作曲を始め、
架空のレコード会社FREELIFE RECORDSをふたりで創りました。あなたが社長で私は会長でした。

おたがいに興味が合って、日夜さまざまなことについて話し合いお互いを励ましあいました。
私はわがままな人間でしたからあなたからよく叱られました。
そして、学生時代、自分と同じ価値感の人間がこの世に存在していたことが私にとって唯一の救いでもありました。


彼について始めに思い出すKEY WORDとは!?
反骨精神、ジョーク、ユーモア、感性、音楽、仮面ライダーのカード、ソフトボール、野球、プロレス、
梶原一騎の劇画、詩作、FOR LIFE、FREE LIFE、吉田拓郎甲斐バンド、ツービート、松田優作
大好きだったいとこのこと、尾崎豊、毎年、クリスマスに贈られてきたカセットテープ、競馬、落語。


何より純粋だからこそ気づいてしまう良心からでてくる正義感というか。
いつも話すときは真剣なんだけどシャイだからこそジョークや駄洒落を言ったりして。
このような人柄は彼だけが持っていた特有のキャラクターでした。
彼のジョークやギャグにふれた数々の友人たちはいつもお腹を押さえながら涙を流しながらお腹が痛いといって笑わされている情景を私は中学時代からよく見ていましたのでもうあのジョークやギャグが聞けないのがとても残念でなりません。(本人が出て来て、おいおいそこかい!残念がるところはと。逆に突っ込まれそうですが(笑い)。
待ってなさい!あなたが生前、望んでいなかったあなたの詩集をWEB番組として開設してあげるから!・・・。)
Web program
『 小沢 幸一 詩集 ☆ The Poetic Works Of Kouichi Ozawa
http://d.hatena.ne.jp/kneedrop7/をOPENしました。

そしてふたりが出会ってたがいに高校まで、都会に出てゆくまで生まれ育った深沢という町。


幸ちゃん。あまりにも急でした。おそらく一番びっくりしているのはあなた自身なのかもしれません。今あなたがいなくなってしまったこの世界を私も信じられません。またあなたが目の前に突然現れるような気がしてなりません。
ゆっくり休んでください。
そしてまた次もあるならあなたの魂に触れたいな。


幸ちゃんほんとうにありがとう。最後に会った時もあなたに言ったけど
私はあなたに感謝しているんです。私はあなたからかけがえのない宝物をいただくことができたからです。
それは『FREELIFE』です。その『FREE LIFE』いうな名の下でかきあげた作詩;作曲したオリジナル作品。
そしてあなたと共に音楽を始めとし、さまざまなメディアから影響を受け多感な時期にあなたとたくさん話し合えた
時間の中から育まれた私の感性です。 『私はあなたに逢えて最高の人生でしたよ!』
今日告別式にいってあなたのお姉さんに私のブログ『普遍の祈り』の番組で
これからあなたの追悼特集をしたいという許しをもらってきます。合掌。
                      
              2010年7月29日 小沢幸一告別式にて 弔辞 友人・FREE LIFE代表 五十嵐精一
                                                  (この番組用に加筆しました。)







FOR LIFE RECORDS第2弾シングル 1975年作品
「となりの町のお嬢さん」B面『流れる』 作詩:作曲/吉田拓郎 編曲/松任谷正隆