No.218・『国民読書年』記念@KNEEDROP読書論!?(2)

kneedrop2010-05-18

《EVENT》−9
やはり活字を読み自分で考える行為というものが非常に自分の心を広げかつ知識や他者の思想や経験を盗み積むことによって自分が今後、物の考える上で幅をひろげてくれるからです。まさに読書とは本を読むことで考えることは自分と向き合う時間を作るということにつながるということです。
まあ〜人生などといいますと大げさに聞こえるかもしれませんがもちろん人によって受け取り方は千差万別ですし、人によって価値観も違いますから読書する行為自体押し付けることは出来ないわけです。
が、本や読書がなぜ素晴らしいと私自身が感じるかといいますと1つ目の理由としては読書をする行為自体が誰からも束縛されることがないということです。単純にいえば何を読んでもいいし許されているわけです。そしていつも本が存在する背景にはまさに自由(FREE)の風が吹いているということです。
それは言論(執筆)の自由であり出版の自由。
そしてもうひとつの自由とは書店で働く本のソムリエたちが、新刊で入荷の際今までの本の知識や以前の販売数やその本の内容を短い時間の中でどのような本なのか吟味し、書店という限られたスペースの書棚にその本が本来落ちつける場所であり一番似合う場所であることを探し、なおかつ最大現に販売できる場所を探しあてPOPなどをつけ売り場を創られているわけです。(その本が陳列される場所は書店で働く人たちがが決定するのです。)どのような本を販売するかも自由なんです。
出版が商業をベースで始められて100年ぐらいですから、庶民のところまで自由に図書館や書店にいろいろなさまざまなジャンルの本が並び私たちが近所で気軽に本を選んだりできるようになったのも時間の経緯で計ればおそらくここ50年ぐらいの空間の創出だったのはないんでしょうか。
全国的に大型書店が創られ始められたのもここ30年ぐらいと記憶しています。昔、30年ぐらい前は100坪ぐらいでも大型書店と呼ばれていました。
現在、大型書店とは書籍売り場坪数でいったら最低でも300坪以上〜1000坪以上でしょう。それだけ近年、文化水準が上がるとともに書物に対しての知識欲が要求度と比例したことが売り場面積を拡大していきました。
2番目の理由としてはこれは本に限りませんが人は今まで解らなかったことが解ると人は変わるということです。経験値が増えるということです。
そしてある1冊の本の中のある1行の文章や意見に出会ったことで本を読んだその人の人生に影響がおよぼされ今後の生き方が変わるかもしれないということが読書するという行為自体の中に読書後、生き方が変わるかもしれないという可能性を孕んでいるからです。
毎日、1冊あたらしい本のページをめくるということは毎日一人のあたらしい人に出会うことと同じなわけです。
ですから本を読むという行為自体が人(他人のこころや他者の経験)に触れるということは認識においても同義語なのです。音楽も美術も映画も芸術だけにとどまらずそれは広く言えば、それは私たちが包まれている世界の森羅万象を学ぶといっても過言ではないと思います。
本を読んでから自分なりに思索を深めることはとても人が生きるうえでこのうえなく大切でかげがえのないことなのです。
そんな読書という(一見誰でも出来る行為なわけですが)素晴らしい体験ができるようになったのも近代という時代が作り上げてくれた本という知的財産を守り管理し供給するということに出版文化を始め先人たちがほねを折ってくれたからかもしれません。
読書から培われたものがやがて自分のこころから発芽し自分や愛する人の人生においてたくさんの風雪に耐えあなたやあなたの大切な人の心に立派な樹木を育てみなさんから敬愛されるような花を咲かせようではありませんか。
はじめてこの番組で私自信の本というか読書に対する想いを今日はオンエアさせていただきました。また機会がありましたら、さまざまな読書論を取り上げもっと深く読書する行為についてと読書嫌いな子供さんが読書好きになるためのポイントについてもこの番組でオンエアしたいと思います。
はいそれでは本屋大賞がますます発展されることを願ってやみません。
それでは次回はこの2010年の本屋大賞に選ばれました冲方丁(うぶかたとう)さんの"天地明察 ”を読み解くと題しました冲方丁 和合亮一 のトークショーの模様をお届けします。(つづく)