No.134・表現、 Listener@『普遍の祈り』(3)

kneedrop2010-01-30

      【 七十二候 】
1月30日 鶏はじめて鳥家につく(にわとりはじめてよやにつく)                                      ・・・・・鶏が卵を産むため巣ごもりし始める。
《thanksgiving》−5
「普遍の祈り」 DJ / KNEEDROP つづいてます。
【当初、アクセス数は!?】 
’08中は1日30件前後でしたので、ほとんど、見てもらえていないと感じて、中盤からはエンターティメント性が高く、多くの人が関心を持っている話題性のある内容を探し、その中でも、自分でみなさんに伝えたい内容の記事だけをオンエアしてきました。普遍性を持った、一般の人々が知っている話題でなければ、共感出来ないと思ったからです。
2番目のコンセプトは多くの人に伝えたいということでした。そこで現在、話題性のあるものを取り上げれば、自然とアクセス数は上がりますし、新しい多くのリスナーと出会えるかもしれないと思ったからです。
そして、まだ、出会ったことのないリスナーたちと意見交換をしたいとも考えました。
それでDJ/KNEEDROPがこの『 普遍の祈り 』という番組をインターネットレディオショーの雰囲気でオンエアしているように、演出して進めていったわけです。
【この番組を支持してくれている方からコメントも!?】
この番組をお聴きのリスナーの方々にはいろいろな方がいると思うのですが、そんな世界にちらばる私のリスナーにこの番組をつづけてきたことでまだ、少数ではありますがコメントを戴き、出会えたことにとても感謝しています。
コメントをいただきほんとうにありがとうございます。
この番組を聴いたリスナーの方々がコメントを投稿してくれるかもしれないというだけで励みになり生きがいにもなりました。 本来、もう十分、満足なんですが。が私事ですが音楽専門学校時代の私の同級生でありバンドのメンバーの消息が何十年か前からか転居して現在、4人とも消息がつかめなくなってしまっています。そんな素敵な再会を期待して、本名で番組を立ち上げたという次第です。)そして友人から貴重な意見もいただきました。
【友人からの貴重な意見とは!?】 
貴重な意見とはこの「「普遍の祈り」の番組が100回を超えた時にこの番組は通常のブログ(日記)ではない。といってくれたのです。そして、もちろん、評論家にもなってほしくないとも・・・・。そして、100回以上もつづくとは思っていなかったとも。(まあ通常、一般の方が書く日記=ブログ的なものではではないものを構築できないかと考え当初から始めていましたので、友人にそういわた時は、正直うれしかったです。)そこで、私は最近、ブログという総称は使わないようにして、Web Programといいかえました。
私はこの番組を生涯続けてゆこうと考えています。みなさんに伝えたいと思っていることがたくさんあるからです。
あと、この番組で当初、自分の個人情報(本名で出来ない)やアクセス数やオンエアの記事の内容に対しての反響など気にしていたのですが、たとえば明日、自分が亡くなるかもしれないということを考えると今日、やれることはやり遂げておかないといけないと思いました。そして、そして、昨年の秋からWeb上の番組を2番組は本名で開設した次第です。(先ほど話した、音楽の専門学校の友人と再会をしたいということを含め)そして何を隠そう100回が近くなる頃には自分がこの番組のファンになっていました。オンエアするのが楽しくなってきたのです・・・・。(自分が楽しければリスナーの方々も楽しくなるかもしれない・・・)
そして、この番組は私にとって、闇の記憶という出版以後10数年ぶりにメンタルな部分で唯一突破口を開いてくれる可能性ある番組に成長してくれました。ただ、ここでひとつ勘違いしないでほしいのは一般に私以外の方がブログに日記のように日常的なことを書くことに対して私は批判的な意見はもってはいません。(つづく)